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day's eye & lily

つぼみも満開も枯れた花も

Love and Pain. ~石内都「Frida is」

Arts / Humanities 石内都

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資生堂ギャラリーにて開催されている、石内都さんの写真展「Frida is」に行ってきました。時間をちょうだい、と話したのは起床時。色々と今月この後、週末も夫の仕事が入る日が多く、平日はもちろんのこと、行けるタイミングあるかな…でも行けたらいいと思っていたのでほんとよかったです。

 

ひんやりしたギャラリーへと降りていくと、静かで(当たり前か)、人もまだ少なく、展示数は少なかったものの、身を置いて見ることができて何よりでした。

 

フリーダ・カーロの熱狂的なファンではなく、私は石内都さんの作品を何度か足を運べたのですが、この展示の少し前に上の画像の本「写真関係」を購入しました。「フリーダ 愛と痛み」もほぼ同じくして発売だったのですが、エッセイの方を。

 

フリーダの身につけていた服、装飾品、コルセット、高さの違う靴…浴室にあったという薬、化粧品…。鮮やかであるが静かである、そんな作品を眺めてきました。石内さんの作品を直接、あるいは写真集で見てきて、傷跡であったり、皺の寄る皮膚であったり、母の遺品であったり…そういう「もの」の佇まいは静かでありつづけている。でもその「もの」には、記憶が佇んでいる。その静謐さにいつも私は心ひかれています。

女性の表現者はいつの時代でもスキャンダルにまみれる。ましてやフリーダの時代、マッチスモの国メキシコでの女性の生き方は想像を絶する。彼女が真に考えていたことよりも、非日常の出来事を過大に持ち上げ、過剰に伝える。痛々しい物語でも、熱烈なロマンスでもない、フリーダが普通に息をしていた日常の生活が私を待っていてくれた。長い長い日々のなんてことのない時間の積み重なるカタチと、身体の苦痛、精神のうずきと悲しみ、瞬間の喜びと運命的な短さを切実に現実として絵画に描いた一人の女性の表現者がいたのだ。今でも脈々と息づいている彼女の濃密な生命への尊厳とアイデンティティに対する純粋なまなざしを、彼女が遺したすべてのもの達から感じないではいられない。

(中略)

女性の表現者という生き方への多くの誤解や中傷がどんな時代でもあまり変わることなくある現実をわが身にてらして考え、六十年前に四十七歳で亡くなったひとりの女性アーティスト、フリーダ・カーロは、いま私に大きな勇気と希望を与えてくれたのである。

(「写真関係」石内 都)