「父親になる、父親をする」柏木惠子 より

父親になる、父親をする――家族心理学の視点から (岩波ブックレット) 

柏木惠子さんは、「子どもという価値」という本を以前、ツイートでおすすめしている方がいて読んだことがありました。

 

【目次】

第1章 父親になること、父親をすること 人間だからこそ必要な子育て/子育てを可能にする人間の「心」/養育するのは親だけではない/「進化の産物」としての父親/父親と母親は違うのか?

第2章 父親たちは、いま―日本の現状をみる 「イクメン」というけれど/問われる子育ての中身―父親にとって子どもとは/子ども中心家族か、夫婦中心家族か―子どもの誕生と夫婦関係の変化 第3章 父親として育つとき 妻は夫をどうみているか/子どもにとって父親の意味とは/父親として成長するために 終章 父親をすることが可能な社会へ

 

気になる記述をいくつか引用。

では、なぜメディアは、いまイクメンをしきりに喧伝するのでしょうか。大きく二つの理由がありそうです。 一つは、まだかなりの少数とはいえ、新しく出現したタイプの男性はニュースバリューがあります。(略)男は仕事、すなわち「仕事メン」ばかりだった状況で、子育てを本命のようにする"新種"が出現した。そうした希少価値ゆえのニュースバリューなのでしょう。 もう一つは、「男性の子育て」を増やそうという戦略、教育効果を狙ってのことでしょう。 (略) しかし、こうした施策をみても、「なぜ男性が子育てに参加しなければならないのか?」「なぜ男性に育児が必要なのか?」といった本質的な理由は全く明示されていません。それは「いうまでもない」といわんばかりです。でも「いうまでもないこと」なら、何もいまさら「男性の子育て」を喧伝せずとも広まっていたはずです。少なくとも日本では、「いうまでもないこと」とはなっていないようです。

 「夫婦ふたりの子だからふたりで育児するのが当たり前」というツイートを拝見するのですが、それもやっぱり当たり前、と感じられない文化が強いのも一因なのではないかと思います。ジェンダー問題に行き着いてしまうのか。。 

"マザリングとアロマザリング" 「子育てをする親=母親」という考えは、学問の世界でも同様に根強くありました。これまで心理学で親の研究といえば、長いこと母親の研究ばかりでした。ところが、いまから二十数年前に「子どもの発達に貢献しているもう一人の親-父親を発見した」とのセンセーショナルな論文が発表され、それ以来、父親研究がようやく増えてきました。

 研究の歴史から言ってもまだまだ父親についてはこれからなのでしょうかね。  

父親がなぜ遊びに没頭できるかを考えてみてください。食事や衣服など、子どもに必須の世話は母親がしっかりと行っていれば、何も手を出す必要がありません。だからこそ、父親は遊びに集中できるのです。女親か男親かではなく子育ての責任をどのような立場で担っているのか。つまり、子育ての第一責任者なのか、二番手なのかによって、子どもへの行動や感情は違ってくる、とみることができるのです。

 "後ろに最終的には誰かがやってくれる"という後ろ盾があるのと無いのでは、心構えが違うのは自然なことでしょうね。お風呂入れるのも、入れるようにする準備・お風呂から上がっての準備といったすべてを含めると工程はたくさんあるのですけどね。

子どもが自分にとってどのような存在かを調べた研究によると、子を自分の「分身」だと思っているのは、父親の方に圧倒的に多いのです。母親も、子どもは自分の「分身」だと思ってはいます。ですが、その一方で、自分と対立する存在だとも見なしています。 子育てをしていれば、子どもはかわいいと思いつつも、自分の思いどおりにならないことを度々、経験します。子どもは、母親が考えた計画を覆し、親がしたいと思っていることを邪魔する。そうした経験を通して、子どもをいわば「他者」だとも感じるようになるのです。子育てをしなければ、このような子どもの「他者性」を感じることがないでしょう。父親について、子育ての量との関連で検討してみると、子育てをしていない父親の方がむしろ子どもを自分の「分身」であると考える度合いが強いのです。

 これは意外でした。具体的な「分身」としての扱いってどんなことがあるのでしょうね。

イクメン」という言葉が流行するのは、必ずしも、そうした人たちがたくさん現れているからではありません。目新しいから、ニュースになるのです。

 そう思います。ただ、子煩悩という形容ではなく、家庭のことを積極的にし、子どもとの関わりを大切にする男性を形容するのにこの言葉がついた、ということが意味あるのかもしれません。

夫の子育てについて妻たちがどのように語っているかを調べた研究から、父親の子育ての質的特徴がうかがえます(平山順子「妻からみた「夫の子育て」柏木恵子、高橋恵子編著『日本の男性の心理学』有斐閣、2008年) 。 そこでは、次の三つの特徴が指摘されています。すなわち①受動的な子育て、②趣味・楽しみとしての子育て、③"いいとこどり"の子育て、です。

 (笑)女性と思われる人のTwitterでのツイート "イクメン"からはそんな三つがときどき目立つかも。なんていうか、きっと多くの人が感じることなのかも。  

父親の育児不在は母親の育児不安を高める一方、逆に、母親を子どもの教育にのめり込ませることにもなりがちです。自分だけに育児責任が任されていると、失敗は許されないとの思いにかられ、子どもに対して過度に介入することにもなりやすいのです。自分がよいと思ったことを「よかれ」と子どもに課す。子どもには、出来るだけのことをしてやらなければならない。そうした愛情の押しつけをしがちです。

 これは昨日、クローズアップ現代やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」を少しだけ見たのですが、そうなりがちな背景を掘り下げたらこういう理由に行き着くこともあるのかしら。  ほんの少し番組見ただけで、あとから関連ツイート見たら「父親のケースは全く出てこず母親ばっかり」とのことで、そういう「育児=母親→陥りやすい」というイメージがちょっと…全部見てないからなんとも言えませんが。

さまざまな文化における子育てを比較した文化人類学者は、日本の子育ての特徴を「先回り育児」と指摘しました。子どもが自ら何かをする前に、親がお膳立てして、教えこみ、失敗しないように防護する、というものです。この傾向は母親だけの子育てによっていっそう強まることになります。

 これは気にしておきたいなと思うこと。自分自身が子どもの頃からの「失敗した経験」て苦々しくも記憶に残っていたり、次はそうなりたくない、と思える原動力にもなったりすると思いました。恋愛もそうだよなぁ。  

子どもをもっている夫婦でも、子どもは一人という家庭は少なくありません。子どもが複数いた場合には「できるだけのことをしてやる」と思っても、親の愛情は分散され、過剰な介入は起こりにくくなります。しかし、子ども一人に過剰な愛情が降り注がれることになれば、子どもの「育ち」を阻害することになりかねません。

 わりと間隔が広すぎず第二子を出産してみると、いまだ上の子がひとりっこだったら「もっと時間も手間もかけてあげられそうだ」と思っちゃうのですが、ふたり子どもたちがそれぞれの成長を同じ家の空間でしていることを点より面でみてる、という感覚があったりします。  

「子どもが一人育つためには村中の人が必要」というアフリカのことわざがあるといいます。(中略)母親がいくら安全に配慮して、強い愛情をもって子どもを育てたとしても、それだけでは「豊かな環境」とはいい難いのです。子どもには、数の上でも質の点でも多様な人たちのかかわりが大切です。人ごとに異なった刺激、評価、対応を受けることが、子どもの人間関係を豊かにし「育ち」をうながします。(中略)その意味では、父親が子育てに関わらず、子どもの「重要な他者」となっていない状況は、子どもにとって「豊かな環境」とはいえません。

 

◆父親の出番は青年期になってから? 日頃父親が、どれくらい子どもと接しているかを調べ、そのうえで学童期の子どもに父親の評価をたずねた調査があります。この調査によると、日頃、子どもと接することの少ない父親については、性格や能力などいずれの面についても子どもの評価は低いのです。

 働くお父さん、以外に素敵なところ、きっと持っているはずだけれど、子どもだって自分の目でおとうさんのことを発見していくのでしょうね。  乳児の頃は言葉や感情表現をうまく扱えない、といったことで喋れるようになったらつきあいが増えたっていう方もいるようですね。

仕事などに追われ、子育てに関わらない父親は、子どもを経済的に扶養しているという面ではしっかりと役割を果たしているでしょう。しかし、それだけでは、子どもは父親を魅力的な存在だとは感じられないのです。食事や遊びをともにする日々の経験を通して、子どもは父親の魅力を発見し、父親の存在意味を実感できるのです。

 オムツ替えが果たして効果をおよぼすか、というよりも、子どもとパパが触れ合うことに「慣れる」には時間も回数も必要なんだろうな、と実感してます。2歳半の一児の子がいる友人ママの話で、結局はひとつも替えてくれない、お風呂ダメ、子どもが泣くからってことで夫はしないそうで、母子の距離は常に近いから、子どもの方もたまに一緒になろうとするパパはダメー(泣く)となるそう。  結局は子どもには泣かれるし、子に泣かれた夫は機嫌を損ねるしということを目の当たりにするくらいなら「わたしがすればいい」という結果になるそうです。。。

◆「きびしい父親」は有効ではない また、厳しいしつけや、「勉強しろ」と命令するような統制的な関わりではなく、子どもの気持ちを受容し、親密な会話を行い、子どもとともに行動する「共行動」が、子どもにプラスに作用しています。不安を低減し、自尊感情や自己有能感を高めます。つまり「自分のことをわかってくれている」と思える父親の受容的態度が重要なのです。
◆仕事だけでは育たない感情制御能力 男性は冷静で理性的、さらに積極的に自己主張することが大事という考えが強い人ほど、感情制御の不全傾向が強くなりがちです。喜びや感謝などの気持ちを率直に表して、子どもや近隣の人々に親しく接し、気軽に言葉を交わすことなどができにくいのです。逆に、そうした「男らしさ」にこだわらない男性では、感情表現が柔軟で豊かであり、自尊感情も高いことがわかっています。
・父親の育児時間の長さが父親自身に及ぼす影響をみた研究でも、共感性、ストレス対処能力、生き甲斐、自尊感情などが育児量と正相関していることも確かめられています。

 実は子どもに受け入れられることこそ、父親側にとっても受容されているという感情が高まるのかもしれない。

・「男は仕事」という価値観の修正は、男性だけに求められているのではありません。妻の側も、夫を稼ぎ手として期待し、そう遇している場合も少なくありません。妻の側が「子育ては何よりも母親が」と考えているとしたら、それは「思い込み」、あるいは「思い上がり」といってもよいでしょう。夫の家事や子育てを促進するのも、抑制し排除するのも、妻の態度に関係しています。夫の行動を「それではダメ」と否定するか、信頼して夫に委任するかで、夫の行動や姿勢も変わってきます。

過去ツイートでしたのですが、 「夫に子供の世話を任せるのは不安だから」といって予め抑制してしまうのって、なんだかもったいない気がするけど 「任せられない」ということからくる不安はするわ、でもやろうと言い出さない相手に憤慨するわ、やったことに対して素直に認めにくかったりしたら、相手もやりづらいだろうなぁと思います。 逆の立場だったらいやだもん、私(笑)。

男性の労働時間は主に仕事ですが、職業をもっている女性の場合は、仕事のうえに(一人で)家事・育児もこなさなければならないからです。仕事も家庭もというのは確かに大変です。ところが、仕事と家事・育児とで長時間働いているから、女性が過労死した、などということは聞いたことがありません。

 今後も働くママが増えていったらそういう女性も出てくる気がする。過労死とは言わなくっても、心身疲れきってしまうことは、本人にも家族にとってもいいことじゃないものね…結構気張ってやってらっしゃる女性が多いのでは。

単一のことだけを長時間していると、仕事の能率も下がり、働く者の心身の健康も害してしまいます。一方、仕事と家事・育児という複数の異質な作業を行うことは、心身を活性化させ、精神的な健康も高めます。このことは産業心理学の研究によって明らかにされています。

 ・・・だから女性の方が長生きするという(笑)  

最近になって、従業員の子育てなどに理解を示す企業も出てきています。子育てを支援するために、育休や時短をはじめ、さまざまな制度を設けている企業もあります。しかし、ともすると、それらの制度は女性が子育てをしやすくするためのものとなっている場合が少なくありません。それでは、女性を子育ての責任者とみなし、仕事と家庭の両立を女性の課題としている点において、「男は仕事」の価値観から抜けだしてないのです。

 これはハッとさせられましたが、「女性の社会進出」「女性を活用」と言いながら制度充実化は喜ばしい一辺倒ですが、女性だけじゃあダメってことなのでしょうね。

これまで日本の男性には「一人前になる」ことの条件として、職業的・経済的自立が重視されてきました。その反面、家庭役割をこなせるとか、他人に対してケアを行えるなどといった面の成長は軽視されてきました。子育ては弱い者に向き合うケア行為です。自分本位の思い、態度は子どもに通用しませんし、相手の立場、感情を考えながら行動しなければなりません。その意味で、子どもというのは、まったくの「異質な他者」です。この「異質な他者」に向き合うケア行為を通して、弱い者などへの思いやりの気持ちや姿勢、行動なども身につくことができます。

 自分自身のもつ意識や価値観、って時代背景や親の意向のベースも含んでいるのだろうと思います。そんなことをTwitterでのツイートやこういう本で改めて考えるきっかけでもあるなと感じました。