オーバーホール
気がつくと時計が止まっていて、職場から近い時計修理屋さんへ電池交換へ行ってきた。
たびたび持ち込んで直してもらっている方で、最後の交換は昨年末だったから大して時間経ってませんね、と。
それから2日後に気がつくと止まってしまっており、動かない…再び見せに行って、電流0とのこと。電池が原因でなければオーバーホールですねと。時間も期間もかかるだろうけど仕方ないかもなあって。
その前に、電池を押さえている部品をひとつ外して、もしかしたらショートして動かなくなった可能性があるかもと。ただ、じきにまた停止する可能性の方が高いでしょう。と。
原因が複数考えられて、検証したりして可能性をはずしていく、そんなことを仕事でもやっているわけだけど、時計の内側はわかりようがなく、ただただ頼みます、という感じ。
丁寧にみてもらい、まだ使いたい時計、は、新卒入社した会社である程度貯金ができたときに買った物。
今のところ3日過ぎても動いている。。
問いを立てる。
新しい夏がやってくるそして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく美しいこと みにくいこと僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなことそして僕は質問するいったい何だろういったい何故だろういったいどうするべきなのだろうとしかしネロもうじき又夏がやってくる新しい無限に近い夏がやってくるそして 僕はやっぱり歩いてゆくだろう新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ更に新しい夏を期待してすべてのあたらしいことを知るためにそして 全ての僕の質問に自ら答えるために-「ネロ」 谷川俊太郎
以前にも、この詩(合唱で歌った歌詞でもある)を取り上げた。
"自ら感じたこと、考え、問いをし、問いに答える"という言葉が含まれていて毎年の抱負を考えて大々的に宣言することが苦手な私にとっては、恒常的に目指していたい事になっているように思う。
昨年も、子どもたちの成長の過程の中で、「どうしてこうなんだろう」と感じてしまうことはいくつもあり、そして「どうしたらよいのだろう」とも思う局面が度々あった。そしてそれはまだまだ当たり前だけれど、綺麗さっぱりに解決する、ゼロになる、なんてことはいつまでもないのだろう。
「自分だけで煮詰まらない仕組み、構造」というのはとても大事で、人に会って話したり、子どもたちを親とは違う観点で見ていらっしゃる方々と言葉として交わしたり、自分の知らないことを調べたり、間接的である仕事を通じて学べることや、煮詰まらない程度のライフとワークによって、ただただ沈んだ気分だけに拘泥しないで済むなど、そういったことを実感することが、すごく、ある。
子どもたちにも、私にも、「新しい夏」がやってくる中で、また新しい知らなかったことに出会うことだろう。先回りして予測可能範囲でカバーし、子どもたちを囲うことなんてそれこそ不可能で、不測なこともやってくるだろう。
考え、そして何かを導き出していく、という意欲を失いたくないなと思っている。
Tori Amos A Piano The Collection
新譜「Native Invader」をmp3プレーヤーへ取り込んだら、操作を誤って中のデータが消えてしまった。ということで、PC側のライブラリから再度コピーしたり、それでも抜けてしまった曲はCDから入れているわけですが、久々にPIANO箱をもってきました。
こんなBOX SET作ったりもしてたんだよなー。
今回のライブツアーもピアノ1台(バンド構成ではなく)、ToriのBösendorferと、鍵盤楽器複数でのツアーで、ファンによるSNSでのセットリストやライブ撮影映像・画像がほぼリアルであがるのを楽しんでいます。