問いを立てる。

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと
僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
 
しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に近い夏がやってくる
そして 僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 
更に新しい夏を期待して 
すべてのあたらしいことを知るために 
そして 全ての僕の質問に自ら答えるために
 
-「ネロ谷川俊太郎

 以前にも、この詩(合唱で歌った歌詞でもある)を取り上げた。

"自ら感じたこと、考え、問いをし、問いに答える"という言葉が含まれていて毎年の抱負を考えて大々的に宣言することが苦手な私にとっては、恒常的に目指していたい事になっているように思う。

 

昨年も、子どもたちの成長の過程の中で、「どうしてこうなんだろう」と感じてしまうことはいくつもあり、そして「どうしたらよいのだろう」とも思う局面が度々あった。そしてそれはまだまだ当たり前だけれど、綺麗さっぱりに解決する、ゼロになる、なんてことはいつまでもないのだろう。

 

「自分だけで煮詰まらない仕組み、構造」というのはとても大事で、人に会って話したり、子どもたちを親とは違う観点で見ていらっしゃる方々と言葉として交わしたり、自分の知らないことを調べたり、間接的である仕事を通じて学べることや、煮詰まらない程度のライフとワークによって、ただただ沈んだ気分だけに拘泥しないで済むなど、そういったことを実感することが、すごく、ある。

 

子どもたちにも、私にも、「新しい夏」がやってくる中で、また新しい知らなかったことに出会うことだろう。先回りして予測可能範囲でカバーし、子どもたちを囲うことなんてそれこそ不可能で、不測なこともやってくるだろう。

 

考え、そして何かを導き出していく、という意欲を失いたくないなと思っている。
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