保育でつむぐ 子どもと親のいい関係 - 井桁容子

今、保育に求められていること

何気ない日常のなかに、大事な支援のポイントがある

1 子どもの思い、親の思い
- 子どもの気持ちを通訳すれば
- 自分と異なる考えや友達の個性を受けとめる
- 子どもの「病気を治す力」
- 個性的な子どもの気づき・発見
- 忘れられないエピソード
- 子どもがこわがること

2 トラブルは気づきのチャンス
- 『北風と太陽』のお話のように
- ぶつかっても修復し合える関係
- 不思議な仲直り
- わが子らしい表現としておもしろがる
- 脆い心を育ててしまう親の「厳しさ」

3 保護者の育ちを感じながら
- 父親が育つとき
- 保育の本質をついた鋭い「気づき」
- 母親が妊娠中の配慮と支援
- 育児休業明けの保育者の母親としての心理
- 連絡帳を通して育ち合う

4 “おばあちゃん”との関係性
- 孫の育ちが気になる“おばあちゃん”世代
- “おばあちゃん”自身の子育て事情

 

大日向雅美さんの「母性愛神話とのたたかい 」と同じく図書館で借りてきました。

井桁容子さんは、NHKのすくすく子育てであったり、何かの育児アドバイスであったり、その名前をお見かけすることがあって、東京家政大学ナースリールーム主任保育士でらっしゃいます。

小ぶりの本で、字体も威圧のないもので、ところどころに保育の一コマの写真が入っていて、全体的に著者の保育の風景から切り取った、子どもたちとその親たちと保育者とのやりとりの様子からの構成となっています。

私個人は幼稚園に通い、パートナーである夫も保育園は未経験であって、働き続ける中で子どもをもち、保育園、という場所に子どもを預けることになって初めてくらいの「保育園での保育」に触れてきて数えれば8年目、そして最終年となりました。子どもふたり、同じ保育園に通っていました。

そんな中でこの本の保育での様子の過程を読むと、ああ、あの時くらいの子ども、というのを思い出させてくれたりもします。が、ここに出てくる母親(父親も出てきますが)のネガティブな横顔ーーーつい忙しさや余裕のなさや下の子妊娠出産子育てなどからくる子どもとの接し方だったり、不安だったりというものまで読んでいると自分に重なるようなところを感じさせられます。

あくまでも井桁さんは保育者のまなざし、を本で向けてくれています。それは読んでいくと、私が子どもたちが通う保育園での保育士の先生(さまざまな方々)とのやりとり、教えてくださった子どものエピソード、連絡帳・・・というようなものまで思い起こさせてくれて、ちょっとうるっとくることも。

あんなに何人もの子どもたちを見ながらも、補助の先生方も、送り迎えの私に、こんなことをしていたり、できたり、こんなところが素敵だと感じた、…など、具体的に、そして言葉を添えてくださっていました。先生たちのまなざしをいただいていたなと。

 

最後には、こう願いをこめてしめくくられています。

子どもたち、親、保育者みんなが前向きに、心豊かに生きることができますようにと祈りつつ。

この頃の報道や話題で、本当に祈りのようになっていて、心を痛めながらも日々の保育をされていらっしゃるのでしょう・・・。

 

 

六月の終わり

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FACTORYのタルティーヌとスープ。
ときどき、おいしいスープとパンが食べたいときにいくところ。
 
近くの濠では蓮の葉が随分と茂っていて、ふつふつと咲くのも間近だろう。
クチナシもひっそりまだ咲いていた。
 
蓮は上野公園も見頃かな。
今年は薔薇の庭園も、あじさい祭りも行けなかった。花の見頃をいとも簡単に逃す。
指を切ってしまったり今月半分は風邪ひいていたりと、多分おとなしくしていたほうがよかったのだと思おう。
 
それでも少しは逃さまいと、路地とか、ちょっと目をつけた場所に、季節の花が咲くのを見つけると未だに嬉しい。
 
 

おもたせ

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たぶん、子どもたちが作ったものすべてを残していたら、家は大変なことになるだろう。すでに収拾つかない箱なんかもあるわけですが。

登園してごそごそとロッカー内の作品箱から取り出して私にくれた、このことり。

男子も女子も折り紙が楽しい時期はあるんだと思いますが、何を折るのかも含めて、その子のその瞬間の考え、なんだよなあ。

渡してくれるときに「しっぽ長いほうがいい?短いほうがいい?」と注文を聞いてからこの長さにしてくれました。

送りやお迎えをしてる人の特権かもね。


あの人の音楽を。

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自分の誕生日を迎えました。

毎年、メッセージをくれる友人が、今年は本人が演奏したイタリア協奏曲を送ってくれました。とてもうれしい。

 

彼女とは小学校転校してからの友人で、一緒に漫画描いてストーリー考えて、時たま彼女のうちでピアノ弾いたりしていた仲で、今もゆるくはあるけれど交友があります。私はだいぶご無沙汰になってしまったけれど、彼女はずっとずっと音楽活動を続けている。

 

話は変わるけれど、ある正月明けに、夫婦共通の友人のお母様が亡くなり、お通夜に参列したことがありました。乳癌が再発した末の逝去だったそうです。学校の音楽の先生を長年されていて、お通夜の時に、お母様の声楽の演奏が流されていました。

 

私のMP3プレーヤには、高校部活での特に印象深い演奏が何曲かカセットテープから救い出して音源として入っています。ときどき、取り出して聴いてみる音楽。

 

映像も画像もそれはそれでよいものなのだけれど、あの人の声、あの人のピアノ、あの舞台の空気、そんなものを耳を通して聴くと、あの人のことを思い出す。

 

感傷的なのかもしれませんが、感傷的に戻れるひとときがあってもいいんじゃないかと思うし、その時間その人を思うことができることは、幸せなことなんだと思います。

 

芍薬

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今年もこの季節になると、お花を買ってもいいかな、という気持ちになります。家族の誕生月ふたり。親友の誕生日なども集まっているのもあって、この梅雨の季節にもかかわらず、晴れやかな気持ちに。

 

そんなこんなで芍薬は花は大きいしアレンジメントもいいけれど、2~3輪を眺めたくなるので花屋さんをあたっていたら、花弁と色が変わり種な芍薬を見つけました。

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水の吸い上げがよく、どんどん開いてきて、日中閉めきった温度も高めになったからか、木曜に買ったのがどんどん進んで、土曜には真ん中の花弁がぱらぱらと落ちるまでに・・・。短し花の盛り。

 

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 日曜の夜、外出先から帰宅して、子どもたちは先に入浴してもらって自分は料理している最中に、包丁で左の指を切ってしまいました。

ああ情けないが、さくさく細切りをしていた矢先。時間外外来にて切り落とした爪を含め、縫い合わせてもらったのですが、処置中、天井を見ながら、家事育児のあれが、仕事のあれがどうしよっかな~とぼんやり考えていました。

利き手でなかったのは幸い。指の腹ではないのでキーボードうつのもしばらくすれば使えるだろう。子どもたちも自分自身のことをやってくれる歳なんだし、なんとかなる。

 

実は、縫う怪我は数えると4度目。すべて左側である。幼い頃、麻酔が効きながらの処置を受けていた光景をひんやりと思い出せるくらい。母親は相当、今は亡き祖父に叱られたらしい・・・顔だったから。

当時の年齢からして、幼稚園生だった私と幼児の弟を連れて、母は外科に連れ込んでいったんだろう。母親の身を想像してみれば、本当、そんな子どもふたりを連れて大変だったろうな。今の自分がその場面に遭遇したらと思うとなおのこと。

 

巻き戻すかのように、当時の母親の状況を私が覚えている限りでの中で子どもたち・家族と向き合っていたのかと立ち返ると、きっとしんどかったことがあるのだろうなと思います。いつかそんな苦労ごとが老いた母の口から出てくるでしょうか・・・。