働く私の「自分時間」を読んだ。

働く私の「自分時間」

 

先日のエントリーにて、未読ながら目次のみ列挙しましたが、ちゃんと購入して読んでみました。 自己啓発書というのは、女性向けにもいっぱい出ていますし、勝間さんのような成功を収めた女性自らが書く本というのも話題に上りやすいですね。 帯にあるような "「スーパーウーマン」に向かっていたあなた、お話があります。"のように、「スーパーウーマン」を目指したことはないのですが、 ここ数年での働く女性は、かけがえのないものの重みに気づかないまま、「仕事での成功と喜び、そして大きな報酬」をつかむ方向にばかり邁進しているように見える。 その情熱を支える源泉のひとつには、今マスコミをにぎわしている「スーパーウーマン」たちの成功物語がある。 実は、子どもを妊娠出産しても働き続ける"働くママ","ワーキングマザー"についても取り上げられるこの頃、やっぱりメディアで取り上げられやすいのは、ただの働くママではなく「子育ても仕事も+αデキるママ、女性」というアイコンイメージの印象が強いように思います。 実際、ご本人が苦労し、努力し、積み上げた結果が周囲からの彼女という姿への評価なのだと思いますが。 でもそれはその人自身であって、「いくつもデキる」「完璧に両立してる」ということができない現実をぐるぐるめぐっている自分にはほど遠い姿でもあります。 なんだか周りの働くママもしっかりやってこなしているように思えちゃうんだけどね。 本からいくつかピックアップ。 (働くママ向け以外にも働く未婚女性への言葉もありますが)

 

■部下の気持ちに気付かないワーキング・マザー

たとえば「ワーキングマザー」は、子どもを産んだことにより母性や女性らしい優しさが磨かれ、職場でも人に優しくできる一面が生かせると思われがちです。しかし、現実の職場では、困っている人に気付かない、気づいても時間がもったいないので、自分の利益にならないことはしたくない、という人が意外に多いのに気付きます。 目の前の仕事と家庭をまわしていくことだけで精一杯で、保育園の送り迎えも猛ダッシュ。貴重な子どもとの時間も家事に追われ、「早く、早く」が口癖になっているような毎日では、人に気をまわせるような心のゆとりなどなくなってしまうのでしょう。 (中略) あまりにも忙しすぎる毎日が1年、また1年と重なっていくと、まわりの人の微妙な気持ちの変化に気付いたり、ときには人の痛みにじっくり寄り添い対応する、という心の機能自体を失ってしまうのではないか。

 

 

・・・忙しすぎる気持ちの弊害、というのは確かにあって、思い通りに事が進まないとイライラしがちになったり、相手を受け入れる器が小さくなってることを感じることもあります(自省)。

■「働く私」と「自分時間の私」とのベストバランス 自分を癒し、心を豊かに育む場が私生活にあって、それが「働く私」の元気を生み出す。その「働く私」が豊かな「自分時間」を育んでいく。

 

 

これは「子育てする私」と「自分時間の私」と言いかえることもできるのでしょうね。

■仕事でのストロークが減ったとき、あなたはどうしますか? ストロークが多いと嬉しくて興奮するものですが、同時にストロークが切れる恐怖も強くなります。

 

自分が評価され、頼られるということって仕事の中で得られると、それはそれで嬉しいことです。

こんなふうに、ストロークが減ったときの自分を想像するのが怖くて、働き盛りの頃には、「デキない人だと思われたくない」「負け組にはなりたくない」と「ねばならない精神」で頑張り過ぎてしまうものです。 そして、自分よりパフォーマンスが落ちた人を「努力をしない人」「弱い人」「負け組」とくくって、「私はあの人よりもましだ」と高みから眺めて、自分を元気づけたりするものです。

 

 

そのストロークが減る恐怖、という一番の転機はやはり「出産で一旦仕事を離れる」「復帰して子育てしながら働く」というタイミングではないかと思っています。 出産前と同じように働けると思ったら大きな勘違いというのを実感しましたが、中には周りのサポートも十分得て「同じ時間、質・量」もできる人もいるかもしれません。きっといるのでしょう。少なくとも自分は無理でしたが・・・。 そういうストロークが減るときというものはとても不安が増幅される。 とにかく自分のことだけ考えててもよかったフェーズから、子どもだったり家庭のことを考えながら仕事するという、それまで未踏だったフェーズに入ると、もうなんていうか葛藤まみれ(笑) でも・・・そんな中で進路を見つける重みとある意味では「この生活をひしひし」と感じながら生きられる転換期なのかなあ、と思います。 後半の3章、4章では「働く私」をどうメンテナンスするか、「自分時間」を大切にするかというTipsが載っています。 その中で自分にフィットしそうな工夫を取り入れてもいいのでしょう。

・月に一度は「ココロめしを」

・ストレスは「空間移動」と「リズム」で解消させる

このあたりは同意。 何度となく勤務中の昼休みのランチで、あのお店のご飯に心も癒されたことか。 そういうお店(の人であり料理であり)との出会いは無形の宝物です。 だいたい、そこの"お母さん"的存在にいっぱい癒されているのです。 もうひとつの方は、モヤモヤしたときは町を歩く、ということも 学生の頃からしていたのですが、これは本当に一人きりで歩けるのは (子どもがいるので)制限がありますが、昼休みに外に出て、外の空気を吸い 道を歩く、って短い時間ながらもリフレッシュになっています。 この本、あえて1点残念だと思ったのは、文章内で強調するかのごとくフォントサイズを上げていること。 やっぱりそういう意味じゃ「自己啓発書」のひとつなのかな。 著者の伝えたい言葉の部分かもしれませんが、そういうのは読者が自分なりに受け取るだろうから、そこまで強調しなくってもいいのにな、と思いました。 自分のことをメンテナンスしながら蛇行しつつも、よりよく、いられたらいいなと思います。大事な人たちとともに。