いのちの女たちへ & かけがえのない大したことのない私
いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論 (河出文庫―ウイメンズコレクション)
鈴木祥子さんがプロフィールでも好きな本として挙げている「いのちの女たちへ」。「33 1/3の永遠」でも名前が出ていたりして、これまで読んだことがなかったので読んでみました。 「ウーマン・リブ」、年齢も異なり時代背景を詳しく知らない身としては、聞きなれない言葉ですし、読んでも定義ってなんだろう?だし、実際に読んでみると、70年代はどんな時代だったのだろう??と思いを巡らせてもよくわからないところは多々ありました。 過去に田中美津さんが書かれたチラシ(ビラ)からの引用や活動についても、当時の気持ち、勢いが随所に感じられますが、感情移入や共感が強くできるかというとやっぱり当時の背景が理解不足なので何ともいえないのが読後の感想。 ですが、鈴木祥子さんが(田中美津さんについて何度か書かれた時)好き、という意味は彼女のエッセイからは伝わってきました。
今の時代ではどうなんだろう? フェミニズム、女性学、ジェンダーといった学問、学者、研究、あるいは、ニュース・政治というところで取り上げられる「男女共同参画」、性別役割分業、イクメン、男性も育児や家事に参加を、子どもをもっても働き続けること、育児休業、家庭と仕事の両立・・・・等々、何かしらで触れることがあること。
特に、自分の性が女性ということや、子どもをもって母となったというのもあって母親という役割、など様々なこれまでの固定観念ってどんな風に持ってきたのだろう、自分や他人はと思うことはあります。 田中さんの本のあとがきにあった言葉が印象的。
「たぶん一度ウーマン・リブになった女は、執拗にウーマン・リブとしてあり続けようとするだろう。 なぜなら"私という真実"には果てがないから。 それは男女雇用機会均等法や育児休暇、男女の役割交代etcを越えて在るsomethingへの希求だ。エロスや豊饒ないのち、自己の全体性といったsomethingだ。」
"ウーマン・リブ"という定義は理解しきれなくっても、「自分はどう生きる」という連続した希求の中で出会う戸惑いを正面から向かい続ける、そういう姿勢を持ち続けることは素敵なことだと思っています。