「女って大変 働くことと生きることのワークライフバランス考」

女って大変。: 働くことと生きることのワークライフバランス考

この本、タイトルにしても、表紙にしても引く要素があるのですが、出版元が「医学書院」。 よくよく中身を読んでみると、看護師や医師の方の寄稿なのですね。医学書院はメディカル関連の出版ですから、その関連雑誌での掲載や活躍されている方々だということで、特徴があるなと思いました。

医学書院 - 書籍紹介ページ

※このページでの書評も、信田さよ子さんはじめ、興味深いもの。

目次

第一章 仕事と家事育児 経済構造と文化規範がズレた時代を生きる私たち(澁谷智子)

第二章 ドライな母親は楽しい!?(萱間真美)

第三章 阪神・淡路大震災を機に看護師を目指して(中田信枝)

第四章 あの子が教えてくれたこと(佐藤珠江)

第五章 子育てと復職、そして姑の介護九年間の経験(河岸光子)

第六章 介護は親のためならず。ALSの介護で弾けた私の人生(川口有美子) マンガ・女って大変。(山本千恵子)

第七章 保育園児に泣かれながら、認定看護師を目指して(東 志乃)

第八章 看取りをめぐって 娘であり、医師である場合(宮地尚子

第九章 ようこそ差別の世界へ(宮子あずさ)

第十章 働く女性の先達としての神谷美恵子森まゆみ) あとがき-「女って大変」を考える理由(澁谷智子)

 

人生の先輩方が家庭生活に子育てに、そして自身の求める看護や研究や臨床の道、子どもやパートナーとの生活や身内の看病、介護・・・パワフル。 結婚や妊娠で一旦仕事を辞めた後に、看護師を目指して勉強するとか、そういう動機や過程なども綴らています。 大変、って思いをもちつつも、少しでもこう在りたいという方へ感覚を研いで向かっていく。もちろん自分だけの事情だけではなく周囲の状況も踏まえながら、という逞しさも感じられました。 本文よりいくつか。

 

 結婚前の女性の就業経験が百パーセント近くなってきている日本でも、家事育児だけの生活に達成感や充実感を見出せない女性が増えている。『家族心理学』の著者である柏木惠子は、そうした女性の心理を、「子どものかわいさや育児の重要性は認めつつも、うけた教育によって養われた関心と能力が職業生活のなかで実現され、さらに成長したかつての経験は、忘れがたいであろう」と書いている。 自分の能力を高め、それを仕事の世界で評価されることで充実感を覚えるメンタリティは、もはや男性だけのものではなく、女性も持つようになっているのである。(P.21)

 

ケア役割を担っていない人は、とかく家事を"残りかす"であるかのようにとらえ、"誰でもができる仕事"と考えている向きがあるが、それを毎日毎日決まった時間に回していくのはかなりの熟練技術がいる。そして育児も、子どもといろいろなことを話し合える関係をつくっておこうと思うなら、コマ切れ時間に要点を押さえた会話をするだけでなく、子どものペースに合わせてその助長な話を聞き、きちんと応えていくことの積み重ねが大切になる。育児は「能率」ではない。 (P.27)

 

仕事という枷 以前ある先生から原稿を依頼されたことがあった。原稿執筆は初めての経験で、とてもそんな大それたことはできないと思い、「私は妻、母、嫁、女、看護師、SST認定講師、主任(当時)、介護人、と日常の役割がこれだけあって、とてもとてもできません」と断ったら、「八つの役割をこなしているとは鬼に金棒!」と言って、原稿の書き方を指導してくださったことがあった。 役割とは、「ここにいる価値」「必要とされている証拠」「生きていてもよいと思えるもの」だろうか。(P.130)

 

 

「逝かない身体」(第四十一回大宅壮一ノンフィクション賞)を執筆された、川口 有美子さんによる章。

私が介護から学んだことの第一に、「自分が今、誰のために何をしているのか、見極めなさい」ということがある。社会道徳があなたの判断基準になっていたとしたら、それがあなたに「大変さ」をもたらしている。 固定観念、規範、社会道徳、流行は時にしんどいものである。自分は踊らされてはいないだろうか。他者の視線が気になり不本意なことをしていないだろうか。少しでも心あたりがあったなら、別の考え方、突破口を探してみたらいい。さもないと「女って大変」から抜け出すことはできない。(P.142)

 

在宅介護の脱構築

誰にでもできる簡単なことからヘルパーに教えよう。家族と同じように介護できないからといって叱ってはならない。男たちにも家事や介護をさせよう。とはいっても期待はせず縛り合わないことである。部屋が散らかっても片付けられるときにすればいい。社交的になるよう努めよう。家族は息抜きをしても後ろめたさなど感じる必要はない。病人に優しくできなくなってきたら、自分の言動が荒くなってきたら、とにかく病人から離れよう。短期レスパイトも気休めに過ぎないが有効だ。 社会がつくったルールは無視できないが、女性は柔軟に生きられる。人生いつからでもやり直せると考えればいい。(p.149) 

 

 病院において、患者の家族というのはとても地位が低い。「ご家族の病気なのだから、何をおいても駆け付けるのが当然でしょう」という感じで、こちらの予定も聞かずに説明日や手術日を決められたりする。そういうときに駆け付けるのはたいてい女性である。一方、治療方針を決めるときには家父長的な立場にある男性の出席が求められることがまだまだ多い。(P.203)

 

 おそらく女性の多くは、子どもや家事にかかわることも、仕事をすることも、被介護者の世話をすることも、ある程度は自分で自分の置かれた状況を考え、自分なりに決断して引き受けている。少なくとも放棄はしないという道を選び、それに携わっている。しかし、それにかかる作業量と時間は、周りの人にはもちろん、自分自身にすら、きちんと認識されていないところがあるように思う。賃労働以外の部分は、何にどれだけ時間がかかるか、言語化される機会も少ない。 そのため、労働量に見合う周りの承認は得られず、自分も「本当はこれもやらなくちゃいけないのに」という思いをもちながら、目の前のことをこなすのに精一杯になってしまう。お金にならない陰の仕事を淡々とこなしても、感謝もされず、褒められもせず、時間だけがなくなり、「大変」という思いが蓄積されていく。(P.255)